その恐怖のピアノレッスンは4年間続いた。
恐いので練習する→指は動くようになる→でも、ピアノを楽しいと思ってひいていない→ピアノの練習は苦痛でしかない
当然、こうなります。
そして、楽譜には穴が空くほど(実際に何度も穴が空いた)注意を書き込まれる。
黒いボールペンで何十にも同じ音に○を書かれるから、もともと何の音なのかすら見えなくなる。
それはそれは・・
恐くて恐くて、怒られないかビクビクしながら弾いていました。
ある時は練習していなかったので、恐ろしくて学校から帰れなかったこともあります。
先生が、さすがに諦めてもう、帰っただろう・・と思った頃に帰宅。
私の気持ちを察してか・・母は何も言いませんでした。
レッスンが終わるやいなや・・先生にご挨拶もせずに隣の和室に突っ伏して泣いたこともあります。
今、考えると・・よくぞピアノを嫌いにならなかったな。
やめる、って言わなかったな・・。
って不思議なくらいです。
きっと、母が弾き語りでいろんな曲を楽しそうに弾いている姿を見ていたからかなとも思います。
そしてついに・・
そんな恐い先生といよいよお別れの時がきました。
父の転勤が決まって横浜から埼玉へ引っ越しをすることになったからです。
最後のレッスン。
先生を近くのバス停まで1人で見送りに行って、悲しくて泣きました。
先生は恐かったけど、嫌いじゃなかったみたいです。
好きじゃなかったけど(笑)
不思議ですが・・。(不思議だらけ)
定番のブルクミュラーの代わりに湯山昭さんの「こどもの国」をテキストとして使っていたので、今、考えると和声豊かな曲をあの時代に教えてくださっていたんだなと、感謝です。
この時、小学4年生。
すでにショパンの子犬のワルツが弾けるくらいの力はついていました。
でも、まだピアノを楽しい、と思って弾いてなかったと思います。
そして埼玉へ引っ越しました。
つ・づ・く
愛♪PIANO SCHOOL ROOM
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