埼玉県に4年間。
次は福岡へ行きました。
私、中学3年生の時。
大分で生まれ、長崎、福岡、横浜、埼玉へ引っ越し
そして、2度目の福岡でした。
全て父の転勤でした。
福岡に行って、まず何が一番大変だったかって
「ことば」です。
博多弁が、最初はどうしても聞き取れなくて・・
先生も授業中もバリバリの博多弁で話すし
もちろん、クラスメイトも博多弁。
はっきり言って・・授業とか・・
何言ってるんだか、分からなくなったりしました。
埼玉では、終わっていなかった授業があちらではすでに終わってしまっていたり、埼玉では修学旅行は中3で行くけど、あっちに行ったら、中2で行っていて終わってました。
トホホなことばかり続いた日々。
ついには、隣の席の女子から放課後、呼び出されて
「あんたね~、いつまで、そんなカワイコぶってしゃべっとーと?あ?いい加減にしときーよ!!」って。(T_T)
カワイコぶってるわけでなく、フツーに標準語を話していただけなんですけどね。
あちらの女子に言わせると、東京の男子が「何してるの?」って言うだけで気持ち悪いらしいです。
「なんしよーと?」ですから。あっちは。
本当にいろいろありました。
この中学3年生の時だけ、私はピアノの先生につかず、自分の好きな曲を弾いていました。母も、あちらに行って先生を探すのも大変だったようです。
中学3年生のあの1年間は、転校していきなり学級委員にさせられそうになったり、担任の先生から受験の2週間前に体が吹っ飛んでしまうほど頭を続けざまに4発だったかな・・殴られたり(って、そんな悪いこと、してないんですが)人生でツイてない日々だったような・・。笑
でも、合唱祭の伴奏はなぜかしっかりやってました。
卒業する頃は、いちゃもんつけてきた女子と一番の友人になってました。
ピアノが弾けるっていうだけで、一目おかれることってあります。
特に学生の時は。
ピアノが弾けたので助かったこと・・たくさんあります。
そして私は福岡の高校に進学しました。
愛♪PIANO SCHOOL ROOM
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飛曹長 (火曜日, 12 6月 2018 21:37)
ますます面白くなってきましたね(笑)。丁度、帰国中なのでOn timeで拝読しております。日本各地を転々とされたのは大変だったでしょうけど、貴重な経験でもありますね。
みどり あい (火曜日, 12 6月 2018 21:54)
飛曹長様。
おかえりなさい!帰国中なんですね。
関東から南ばかりを転々としていましたね。1つの学校にいた期間が短いので、浅い記憶ばかりですが・・。貴重な経験でしたね。
どんどん周りに鍛えられていって、自分を出せるようになったのは転校のお陰だなと思います。
次はエピソード5です。笑